名勝負・迷勝負

◆【名勝負№103】今里光男 vs. 高橋直人 Ⅰ~ 日本バンタム級タイトルマッチ 1987.02.01

1987.02.01
日本バンタム級タイトルマッチ

王 者 今里 光男
(25)
22勝〈12KO〉9敗
vs.
挑戦者 高橋 直人
(19)
10戦全勝〈6KO〉


今里は、1983年に日本バンタム級王座を獲得して4度防衛。
一度は陥落するものの、再び王座を獲得し3度防衛中。
キャリア序盤は敗戦も多く、勝利も判定が多かったが、日本タイトル戦9勝のうち7KO、2度目の王座の3度の防衛戦はすべてKO勝利と強打を誇る。

高橋は、1985年に全日本新人王を獲得、その後も全勝街道を突っ走り、ランキング1位に上り詰め今里に挑戦。



思い切り良く強烈なパンチを振ってくる今里に対し、高橋がジャブで主導権を握り、3Rに今里をダウン寸前に追い込む。
5Rには高橋が連打でダウンを奪い、再開後は今里の猛反撃で激しい打ち合いとなったが、再びダウンを奪い、今里が立ち上がるもレフェリーストップ。

見事な勝利で高橋が王座を奪取。
高橋の快勝となったこの試合は、1987年の年間最高試合に選ばれました。
高橋への期待の大きさも感じられます。



なお、ファイティング原田らの活躍で日本のボクシングが黄金期を迎えた1960年代から2014年まで(2015年からは世界戦と世界戦以外からそれぞれ年間最高試合を選出)の55年間で、世界戦以外の年間最高試合は7試合。

1960年代には、日本タイトルマッチ2試合とノンタイトル戦2試合が選ばれましたが、1970年以降ではわずか3試合。
そのうちの2試合は高橋の試合、今回紹介の今里光男戦(第1戦)と、ダウンの応酬となった激戦、マーク堀越(1989年)戦です。



19歳の若さで王者となった高橋は、その後の活躍が期待されましたが、今里との再戦となった初防衛戦は3RKO勝利したものの、2度目の防衛戦で小林智昭に敗れ王座陥落。
さらに、1988年1月に、小林が返上した王座を島袋忠と争い6RKOで敗れ、大きな挫折を味わうことになります。

◆【名勝負№102】オラシオ・アカバリョ vs. 田辺清 ~ 1967.02.20

1967.02.20
バンタム級10R

WBA世界フライ級王者 オラシオ・アカバリョ
(32:アルゼンチン)
73勝〈34KO〉1敗6引分
vs.
田辺 清
(26)
20勝〈4KO〉1引分

田辺は、1960年ローマ五輪で、ボクシングでの日本人として初のメダルとなる銅メダルを獲得。
1965年10月に日本王座を獲得、その後2度防衛し返上。

アカバリョは、1966年3月にWBA・WBC世界フライ級王者決定で高山勝義に勝利し王座を獲得、その後2度防衛中。
※12/10の2度目の防衛戦ではWBA王座のみのタイトルマッチ。WBCは、12/30にチャチャイ・チオノイ(タイ)を王者に認定。

1967年は、6月に沼田義明がWBA・WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得、白井義男、ファイティング原田、海老原博幸に次ぐ4人目の世界王者となり、7月にファイティング原田がWBA・WBC世界バンタム級王座の4度目の防衛に成功。
さらに、12月には、小林弘が沼田に挑戦し勝利、日本人5人目の世界王者となり、ボクシング人気がどんどん高まっていた頃です。



田辺は、開始からスピードと手数でアカバリョを圧倒、タフなアカバリョから3Rと4Rにダウンを奪い、6Rに、4R途中でカットしていたアカバリョの額の傷が悪化、田辺のTKO勝利。

5Rまでの公式採点は3-0(25-18,25-18,25-20)で田辺。
ちなみに、私の採点 (→採点方法はこちら)は、
1

2



この試合に勝った田辺は、アカバリョとのタイトルマッチを行う予定でしたが、網膜剥離が判明し、無敗のまま引退となりました。

もし、田辺が網膜剥離にならずアカバリョに挑戦していたら、5人目の世界王者は田辺だったかもしれません。


◆【名勝負№101】ウラジミール・クリチコ vs. タイソン・フューリー ~ WBA(super)・IBF・WBO世界ヘビー級タイトルマッチ 2015.11.28

2015.11.28
WBA(super)・IBF
・WBO世界ヘビー級タイトルマッチ

王 者 ウラジミール・クリチコ
(39:ウクライナ)
これまでの戦績:64勝〈53KO〉3敗
 vs. 
挑戦者 タイソン・フューリ
(27:英国)
これまでの戦績:24戦全勝〈18KO〉


クリチコは、2000年10月にWBO世界ヘビー級王座を獲得し5度防衛。
2003年3月に王座陥落しますが、2006年4月にIBF世界ヘビー級王座を獲得し、その後2008年2月にWBO王座、2011年7月にWBA王座を統一。
IBFは18度、WBOは14度、WBA(super)は8度防衛中。

一方のフューリーは、全勝街道を突っ走っているものの、世界トップレベルでの実績はなく、当然のことながら、クリチコが圧倒的に有利と思われました。



フューリーは、人を食ったような言動が目立ち、リング上でも舌を出したり両腕を後ろに回して相手を挑発したりしますが、ボクシングスタイルはクレバーなアウトボクシング。

フューリーは、身長で8cm、リーチで10cmクリチコを上回っており、これだけ大きい相手と戦うのは初めてのクリチコに対し、その体格差を活かし、ジャブを中心にした得意のアウトボクシングを展開し、クリチコにやりたいボクシングをさせませんでした。

この試合は、クリンチが多くやや盛り上がりに欠け、お互いに明確な有効打が少なく僅差のラウンドがほとんどでしたが、クリチコのパンチへのフューリーの反応が非常に良く、また、フューリーのジャブが全体的に良かった印象で、3-0(115-112,115-112,116-111)でフューリーの勝利。

圧倒的な強さで防衛を重ねてきたクリチコを相手に、フューリーが大番狂わせを演じました。
この試合は、2015年の「The RING」のUpset of the yearに選ばれています。

◆【名勝負NO.100】川島郭志 vs. 松村謙一 ~ 日本スーパーフライ級タイトルマッチ 1993.04.06

1993.04.06
日本スーパーフライ級タイトルマッチ

王 者 川島 郭志
vs.
挑戦者 松村 謙一



川島 郭志(23)
これまでの戦績:11勝〈10KO〉2敗1引分

1988.12.21:東日本フライ級新人王決定戦で、ピューマ渡久地《のちに日本フライ級王座を2度獲得(通算5度防衛)》に6RKOで敗れる。

1989.07.01:川島光夫《1987年度全日本フライ級新人王》に1RKOで敗れる。この試合を契機に、打たれ脆さを克服するためディフェンスに磨きをかける。

1992.07.13:日本スーパーフライ級王者の小池英樹に挑戦、3-0(100-91,100-91,100-92)で勝利、王座獲得。
その後、2度防衛中。

松村 謙一(33)
これまでの戦績:12勝〈8KO〉6敗1引分

1987.05.03:OPBFフライ級王者タノムサク・シスボーベー《のちに3度世界挑戦》(タイ)に挑戦、2-1(116-115,115-113,115-117)で勝利、王座獲得。その後3度防衛。

1989.04.08:WBA世界スーパーフライ級王者《9度防衛中》のカオサイ・ギャラクシー(タイ)に挑戦。37勝33KO、世界戦10試合で9KOの強打を誇るギャラクシーにダウンを奪われたものの判定まで粘るが、0-3(111-117,112-115,112-116)で敗れる。

1989.10.31:カオサイ・ギャラクシーに再挑戦、12RTKOで敗れる。
※カオサイ・ギャラクシーはその後防衛回数を19に伸ばし、世界王者のまま引退。

1990.10.20:WBC世界スーパーフライ級王者ムン・ソンギル(韓国)に挑戦、5R負傷判定で敗れる。

1992.09.11:WBA世界スーパーフライ級王者の鬼塚勝也に挑戦、5RTKOで敗れる。
※ リングネームを松村謙二から松村謙一に変更。



川島は、プロデビュー当時、ピューマ渡久地や鬼塚勝也《のちに世界スーパーフライ級王座を獲得、5度防衛》と、「平成の三羽烏」と呼ばれ期待の大きいボクサーでした。
川島は、高校時代、この2人に勝ってインターハイに優勝しており、まさに、鳴り物入りでのプロデビュー。

しかし、渡久地や鬼塚が順調に勝利を積み重ねていったのとは対照的に、2度のKO負けと2度の左拳の骨折によるブランクという挫折を味わいました。
その後、川島はディフェンスを磨き、切れ味のあるパンチを活かした攻撃に、「アンタッチャブル」と称されたディフェンスを兼ね備えたスタイルに進化します。

川島は、その華麗なディフェンスゆえ、ディフェンス中心のボクサーのように思われますが、もともとは相手のパンチの届く位置で攻撃をかわし、回転が速く切れ味の良いパンチですぐに反撃しKOを量産してきた非常に攻撃的なボクサー。



日本王座を獲得し2度防衛、さあこれから世界を目指そうという勢いのある川島に対し、 松村は、カオサイ・ギャラクシーに2度挑むも敗れ、その後、ムン・ソンギル、鬼塚勝也に敗れ、4度の世界挑戦はすべて失敗。
すでにピークは過ぎたと思われましたが、復活を懸けて川島に挑戦します。



川島が前後左右に良く動き、パンチを的確に打ち込む。
松村は、川島のスピードについていけず劣勢に。

4R終盤、川島の連打でダメージの溜まった松村に、さらに川島の右フックがヒットし松村がダウン。
なんとか立ち上がった松村だったが、ダメージは深く、5R開始直後に川島の連打が決まったところで、 松村のセコンドがタオルを投入。

劣勢を強いられながらも前進を止めず、4R終盤には右ストレートをヒットし意地を見せ、ダウンしてふらふらになりながらも5Rの戦いに向かった松村が印象的でした。

試合は一方的な内容でしたが、最後まで決して諦めない松村のド根性を見せてもらいました。

ボクシングスタイルは決してスマートではなく、世界のベルトにも届きませんでしたが、記憶に残るボクサーの一人です。



川島は、スピードとフットワークで松村を寄せ付けず実力を示し、見事に日本王座3度目の防衛に成功。
このあと、世界王者ホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)への挑戦に向かって行きます。

◆【名勝負№99】カオサイ・ギャラクシー vs. 松村謙二 ~ WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ 1989.04.08

1989.04.08
WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ

王 者 カオサイ・ギャラクシー
(29:タイ)
37勝〈33KO〉1敗
vs.
挑戦者 松村 謙二(29)
9勝〈5KO〉2敗1引分

ギャラクシーは、 1984.11.21にWBA世界スーパーフライ級王座決定戦でエウセビオ・エスピナル(ドミニカ共和国)に6RKO勝利し王座獲得。その後9度防衛中。

松村は、1987.05.03にOPBFフライ級王者タノムサク・シスボーベー《のちに3度世界挑戦》(タイ)に挑戦、2-1(116-115,115-113,115-117)で勝利し、王座獲得。その後3度防衛。



当時の日本ボクシング界は、まさに 「冬の時代」。
1987年10月に井岡弘樹がマイ・トンブリファーム(タイ)に勝利、WBC世界ミニマム級王座を獲得して以降、日本人ボクサーが12試合連続で世界王座獲得に失敗。
また、井岡が1988年11月にナパ・キャットワンチャイ(タイ)に敗れ、日本人の世界王者が不在の状態になっていました。

このころの日本はバブル景気で、金にものを言わせて世界王者を日本に呼び、勝ち目の薄い無謀な挑戦と圧倒的な差での敗戦を繰り返し、徐々にボクシング人気が下降線をたどっていた時期でもありました。

1階級上げて、世界戦10試合で9試合にKO勝利している強打のギャラクシーへの挑戦は、 当然「無謀な挑戦」「ミスマッチ」と言われ、勝算はほとんど無いと思われました。



松村は、強打のギャラクシーを恐れることなく積極的に攻撃、 圧倒的不利の予想を覆し、 前半は互角以上の戦いを見せる。

奇跡の大番狂わせがあるのかと思い始めた10R、ギャラクシーの強打が火を噴き松村がダウン。
ギャラクシーは、その後も攻撃の手を緩めず松村を追い詰めるが、松村は、ふらつきながらも勇敢に反撃し大ピンチをしのぐ。

11R、12R、ダメージを引きずりながらも反撃を続ける松村。
ギャラクシーも、松村の気迫に押されたか、決定打を奪えず試合終了のゴング。

採点は3-0(116-112,115-112,117-111)でギャラクシーの勝利。
ギャラクシーが終盤に挽回しての逆転勝利でした。

松村は、惜しくも敗れましたが大健闘でした。
ダウンを奪われてからの反撃は、凄いとしか言いようがありません。
ギャラクシーを苦しませ判定まで持ち込んだ粘りは、あっぱれです。


私の採点 (→採点方法はこちら)は、
10
11

ほぼ普通に採点すると、
12
互角と見た2つのラウンドを松村が取ったとしても、ギャラクシー勝利。

TVの解説者の採点は僅かながら松村勝利でしたし、松村陣営は判定に不服だったようですが、松村勝利だと、いくらなんでも露骨な地元判定と言われたでしょうね。
公式の採点が妥当な結果だろうと思います。

管理人:ボクヲタおやじ
輪島功一、大場政夫、具志堅用高…。少年時代に往年の名ボクサーをテレビで見て、胸が熱くなりました。以来50年以上ボクシングヲタクです。
過去の名勝負なども取り上げていこうと思います。
おことわり
※ 選手名等は敬称略とさせていただいております。
あしからずご了承ください。

※ 記載内容に誤りなどありましたら、遠慮なくご指摘ください。
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