boxing 名勝負・迷勝負

◆【名勝負№106】カルメロ・ボッシ vs. 輪島功一 ~ WBA・WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ 1971.10.31

1971.10.31
WBA・WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ

王 者 カルメロ・ボッシ
 vs. 
挑戦者 輪島 功一



カルメロ・ボッシ(32:イタリア)
40勝〈10KO〉7敗3分 

1959年度世界選手権準優勝。
1960年ローマ五輪では銀メダル。

1967.10.07:世界ウェルター級王者ウィリー・ルディック(南アフリカ)に挑戦、判定で敗れる。

1967.11.25:ウィリー・ルディックに再挑戦、判定で敗れる。

1970.07.09:WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者フレディ・リトル(米国)に挑戦し判定勝利、王座獲得。その後1度防衛中。

輪島 功一(28)
これまでの戦績:22勝〈20KO〉2敗

当時としては、非常に遅い25歳でデビュー。

1969.09.04:12連勝で、日本スーパーウェルター級王座獲得。その後1度防衛。

1969.10.30:WBC世界スーパーライト級王者ペドロ・アディグJr.とのノンタイトル戦で、1RKO負け。

1970.02.05:ジョージ・カーターに0-3(46-48、46-48、47-49)で敗れ、日本王座から陥落。

1970.04.09:ジョージ・カーターとリマッチ。2-1(49-48、48-47、48-49)で勝利、王座奪還。その後、すべてKOで5度防衛。



1R~7R
輪島が、トリッキーな動きと「かえる跳び」「あっち向いてホイ」などの奇策でボッシを幻惑し主導権を握る。
輪島の、常に頭の位置を動かし相手に的を絞らせず、ボッシの左ジャブをしっかりブロックするディフェンステクニックが光る。

8R~11R
輪島の動きに慣れてきたボッシが最小限の動きで輪島のパンチをかわし、左ジャブと強烈な右アッパーで優勢に。

12R~15R
輪島は、11R以降の経験がなくスタミナが心配されたが、動きが落ちない。
逆に、疲れからかボッシのスピードが落ち、クリンチに逃れる場面が増える。


お互いに明確な有効打が少なく、微妙なラウンドが多い試合。

採点は、2-1(68-67、70-73、72-70)で輪島。

この当時のジャッジ(レフェリーを含む)は、中立国から1名、お互いの出身国から1名づつの構成が主流でしたから、接戦だと中立国のジャッジの採点で決まることが多かったのですが、 中立国の米国のレフェリー、ハロルド・ベイランが68-67で輪島でした。

私の採点 (→採点方法はこちら)は、
無題
2




これまでの日本人世界王者は、スーパーフェザー級が最も重たい階級で、それよりも4階級上のスーパーウェルター級で世界王座を獲得したことは快挙でした。

◆【名勝負№105】ホセ・ルイス・ブエノ vs. 川島郭志 ~ WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ1994.05.04

1994.05.04
WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ

王 者 ホセ・ルイス・ブエノ
(24:メキシコ)
24勝〈17KO〉3敗1引分
vs.
挑戦者 川島 郭志
(24)
13勝〈12KO〉2敗1引分


川島は、プロデビュー当時、ピューマ渡久地《のちに日本フライ級王座を2度獲得、通算5度防衛》や鬼塚勝也《のちに世界スーパーフライ級王座を獲得、5度防衛》と、「平成の三羽烏」と呼ばれ期待の大きいボクサーでした。

高校時代、この2人に勝ってインターハイに優勝していた川島は特に注目されましたが、渡久地や鬼塚が順調に勝利を積み重ねていったのとは対照的に、2度のKO負けと2度の左拳の骨折によるブランクという挫折を味わいました。

その後、川島は打たれ脆さを克服するためにディフェンスを磨き、切れ味の良いパンチを活かした攻撃に「アンタッチャブル」と称されたディフェンスを兼ね備えたスタイルに進化、1992.07.13に日本スーパーフライ級王者の小池英樹を破り王座獲得、その後、すべてKOで3度防衛しています。



ブエノは、1993.11.13にWBC世界スーパーフライ級王者ムン・ソンギル(韓国)に挑戦。

ムンは、1988年8月にWBA世界バンタム級王者カオコー・ギャラクシー(タイ)を破り王座獲得、 この王座は2度防衛後のギャラクシーとの再戦で敗れ陥落しますが、1990年1月にWBC世界バンタム級王者ナナ・コナドゥ(ガーナ)に勝利し王座を獲得、その後ヒルベルト・ローマン《WBC世界スーパーフライ級王座を2度獲得、通算11度防衛》(メキシコ)、グレグ・リチャードソン《元WBC世界バンタム級王者》(米国)、イラリオ・サパタ《元2階級制覇王者(ライトフライ級・フライ級で通算13度防衛)》(パナマ)といった強豪を破り9度防衛、4年近く王座を守り続ける安定王者。

結果は、ブエノが2-1(117-112,118-110,114-115)で勝利し王座獲得。



国内では圧倒的な強さで日本王座を防衛していたものの世界トップレベルでの試合経験がない川島は、安定王者ムンを破った実力者ブエノに通用しないと言われました。



開始から、川島が積極的な攻撃でペースを握りますが、ブエノも川島の打ち終わりを狙ってカウンターで応戦。
中盤以降は、川島のディフェンスにブエノのパンチは空転が目立ち、11Rに川島がダウンを奪い、川島優勢のまま試合終了となりました。

結果は、3-0(114-113,117-110,114-112)で川島が勝利、王座獲得。
私の採点 (→採点方法はこちら)は、
1
2




大差で川島勝利と思っただけに、2人のジャッジが僅差だったのは意外でした。

◆【名勝負№104】薬師寺保栄vs. ピョン・ジョンイル Ⅱ ~ WBC世界バンタム級タイトルマッチ 1994.07.31

1994.07.31
WBC世界バンタム級タイトルマッチ

王 者 薬師寺 保栄
vs.
挑戦者 ピョン・ジョンイル


薬師寺 保栄(26)
これまでの戦績:21勝〈15KO〉2敗1引分

1991.06.30:日本バンタム級王者の尾崎恵一に挑戦、9RTKO勝利で王座獲得。1度防衛後に返上。

1993.12.23:WBC世界バンタム級王者《1度防衛中》のピョン・ジョンイル(韓国)に挑戦。
ピョンが初防衛戦で左手を骨折したため暫定王座が設置され、7/22に暫定王者決定戦でビクトル・ラバナレス(メキシコ)に勝利していた辰吉丈一郎と団体内統一戦を行う予定だったが、辰吉に網膜剥離が判明したため、薬師寺が代役で挑戦。
3-0(117-112,115-113,117-111)で勝利、王座獲得。
その後、1度防衛。

ピョン・ジョンイル
(25:韓国)
これまでの戦績:10勝〈4KO〉1敗

1993.03.28:WBC世界バンタム級王者《4度防衛中》のビクトル・ラバナレス(メキシコ)に挑戦、3-0(117-112,115-113,117-111)で勝利、王座獲得。

1993.05.28:ホセフィノ・スアレス(メキシコ)に3-0(120-106,120-104,119-109)で勝利、初防衛に成功。
※ この試合でピョンが左手を骨折したため、予定されていた元王者の辰吉丈一郎との防衛戦は中止。
暫定王座が設置され、辰吉とラバナレスが対戦し、辰吉が勝利し暫定王者に。

1993.12.23:薬師寺保栄に1-2(115-113、115-116、113-115)で敗れ、王座陥落。
※ 暫定王者の辰吉と団体内統一戦を行う予定だったが、辰吉に網膜剥離が判明し中止となり、辰吉の代役で薬師寺保栄の挑戦となった。



初戦は非常に微妙な判定で物議を醸したため再戦となりました。



薬師寺が1R、3Rにダウンを奪い優勢に試合を進める。
4R以降はピョンが細かいパンチで反撃、ピョンのペースに。
10R、劣勢になっていた薬師寺が逆襲、3度目のダウンを奪う。
11R、薬師寺が2度ダウンを奪ったところで、ピョンのセコンドがギブアップ。
薬師寺が11RTKO勝利、2度目の防衛に成功。

序盤に2度ダウンを奪われたピョンが中盤からポイントを挽回、9Rまでの採点は薬師寺3-0(85-84,85-84,87-82)。
そのままピョンのペースで試合が終われば、また微妙な判定になるところでしたが、薬師寺がはっきりと決着をつけました。

私の採点 (→採点方法はこちら)は、
無題

1



この後、薬師寺は、日本中が注目した辰吉丈一郎との世紀の一戦に向かって行きます。

◆【名勝負№103】今里光男 vs. 高橋直人 Ⅰ~ 日本バンタム級タイトルマッチ 1987.02.01

1987.02.01
日本バンタム級タイトルマッチ

王 者 今里 光男
(25)
22勝〈12KO〉9敗
vs.
挑戦者 高橋 直人
(19)
10戦全勝〈6KO〉


今里は、1983年に日本バンタム級王座を獲得して4度防衛。
一度は陥落するものの、再び王座を獲得し3度防衛中。
キャリア序盤は敗戦も多く、勝利も判定が多かったが、日本タイトル戦9勝のうち7KO、2度目の王座の3度の防衛戦はすべてKO勝利と強打を誇る。

高橋は、1985年に全日本新人王を獲得、その後も全勝街道を突っ走り、ランキング1位に上り詰め今里に挑戦。



思い切り良く強烈なパンチを振ってくる今里に対し、高橋がジャブで主導権を握り、3Rに今里をダウン寸前に追い込む。
5Rには高橋が連打でダウンを奪い、再開後は今里の猛反撃で激しい打ち合いとなったが、再びダウンを奪い、今里が立ち上がるもレフェリーストップ。

見事な勝利で高橋が王座を奪取。
高橋の快勝となったこの試合は、1987年の年間最高試合に選ばれました。
高橋への期待の大きさも感じられます。



なお、ファイティング原田らの活躍で日本のボクシングが黄金期を迎えた1960年代から2014年まで(2015年からは世界戦と世界戦以外からそれぞれ年間最高試合を選出)の55年間で、世界戦以外の年間最高試合は7試合。

1960年代には、日本タイトルマッチ2試合とノンタイトル戦2試合が選ばれましたが、1970年以降ではわずか3試合。
そのうちの2試合は高橋の試合、今回紹介の今里光男戦(第1戦)と、ダウンの応酬となった激戦、マーク堀越(1989年)戦です。



19歳の若さで王者となった高橋は、その後の活躍が期待されましたが、今里との再戦となった初防衛戦は3RKO勝利したものの、2度目の防衛戦で小林智昭に敗れ王座陥落。
さらに、1988年1月に、小林が返上した王座を島袋忠と争い6RKOで敗れ、大きな挫折を味わうことになります。

◆【名勝負№102】オラシオ・アカバリョ vs. 田辺清 ~ 1967.02.20

1967.02.20
バンタム級10R

WBA世界フライ級王者 オラシオ・アカバリョ
(32:アルゼンチン)
73勝〈34KO〉1敗6引分
vs.
田辺 清
(26)
20勝〈4KO〉1引分

田辺は、1960年ローマ五輪で、ボクシングでの日本人として初のメダルとなる銅メダルを獲得。
1965年10月に日本王座を獲得、その後2度防衛し返上。

アカバリョは、1966年3月にWBA・WBC世界フライ級王者決定で高山勝義に勝利し王座を獲得、その後2度防衛中。
※12/10の2度目の防衛戦ではWBA王座のみのタイトルマッチ。WBCは、12/30にチャチャイ・チオノイ(タイ)を王者に認定。

1967年は、6月に沼田義明がWBA・WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得、白井義男、ファイティング原田、海老原博幸に次ぐ4人目の世界王者となり、7月にファイティング原田がWBA・WBC世界バンタム級王座の4度目の防衛に成功。
さらに、12月には、小林弘が沼田に挑戦し勝利、日本人5人目の世界王者となり、ボクシング人気がどんどん高まっていた頃です。



田辺は、開始からスピードと手数でアカバリョを圧倒、タフなアカバリョから3Rと4Rにダウンを奪い、6Rに、4R途中でカットしていたアカバリョの額の傷が悪化、田辺のTKO勝利。

5Rまでの公式採点は3-0(25-18,25-18,25-20)で田辺。
ちなみに、私の採点 (→採点方法はこちら)は、
1

2



この試合に勝った田辺は、アカバリョとのタイトルマッチを行う予定でしたが、網膜剥離が判明し、無敗のまま引退となりました。

もし、田辺が網膜剥離にならずアカバリョに挑戦していたら、5人目の世界王者は田辺だったかもしれません。


管理人:ボクヲタおやじ
輪島功一、大場政夫、具志堅用高…。少年時代に往年の名ボクサーをテレビで見て、胸が熱くなりました。以来40年以上ボクシングヲタクです。
過去の名勝負なども取り上げていこうと思います。
おことわり
※ 選手名等は敬称略とさせていただいております。
あしからずご了承ください。

※ 記載内容に誤りなどありましたら、遠慮なくご指摘ください。
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