boxing 名勝負

【名勝負№42】畑山隆則 vs リック吉村 ~WBA世界ライト級タイトルマッチ 2001.02.17

2019.10.01に行われたWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ、スーパー王者 京口紘人 vs 挑戦者 同級1位 久田哲也は、世界挑戦が最初で最後かもしれない34歳久田の大健闘が光りました。

ふと、最初で最後の世界挑戦で輝いたボクサーが他にもいたことを思い出しました。

2001.02.17
WBA世界ライト級タイトルマッチ
王者 畑山 隆則
vs
挑戦者 リック 吉村


坂本博之にKO勝利し勢いに乗る畑山のパワーが勝るのか、テクニックのリック吉村が勝るのか。
日本ボクシング史上で初めて、チケットが1か月前にすべて売り切れるほどの注目を集めた試合。


畑山 隆則(25)

これまでの戦績:24勝(19KO)1敗2引分

1996.03.18 OPBF東洋太平洋王座獲得、3度防衛後返上。

1997.10.05 5度防衛中のWBA世界スーパーフェザー級王者チェ・ヨンスに挑戦。 1-1(116-114,114-114,114-116)で引き分け、王座獲得ならず。

1998.03.29 18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢に挑戦。9RTKOで勝利、王座獲得。(その後返上)
※ 無敗同士の対戦は「史上最大の日本タイトルマッチ」と言われ、期待に違わぬ激闘となり、年間最優秀試合に選ばれた。

1998.09.05 チェ・ヨンスに再挑戦、2-0(116-113,114-114,116-113)で勝利、王座獲得。

1999.06.27 2度目の防衛戦で、ラクバ・シン(モンゴル)に5RTKOで敗れ王座陥落。

この後、引退を宣言するが、「平成のKOキング」と呼ばれた坂本博之との対戦を目指し再起。

2000.06.11 WBAライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑戦、8RTKO勝利し王座獲得。勝利者インタビューで坂本との対戦を宣言。

2000.10.11 坂本博之に10RKO勝利、初防衛成功。

この試合が2度目の防衛戦。


リック 吉村(36:米国)

これまでの戦績:38勝(20KO)5敗1引分
 5敗のうち、デビュー後2連敗を含む3敗はキャリア初期のもの。

1990.01.23 日本スーパーライト級王座獲得。その後2度防衛。
1991.03.09 スラフ・ヤノフスキーに0-3(96-100,96-99,94-100)で敗れ王座陥落。

1993.09.13 日本ライト級王座獲得。
1993.12.13 坂本博之に9RTKOで敗れ、王座陥落。

1995.01.07 再び、日本ライト級王座獲得。
2000.11.27 嶋田雄大に3-0(97-96,98-94.96-95)で勝利、22度目の防衛に成功。

今回の試合が、世界初挑戦。



日本ライト級王座を22回防衛しながら、米国軍人であるがゆえにスポンサーに恵まれず、世界挑戦のチャンスが巡ってこなかった吉村。

36歳にして、最初でおそらく最後となるであろう世界挑戦の相手は畑山隆則。

畑山は、スーパーフェザー級王者から陥落後引退しましたが、「平成のKOキング」坂本博之との対戦を目指し再起、WBAライト級王座の初防衛戦で戦い、10RKO勝利し、この試合が2度目の防衛戦。

戦前予想は、坂本に勝利し勢いに乗る畑山が圧倒的に有利。

試合の模様はこちら↓


試合開始からぐいぐい前進してくる畑山に左ジャブで対抗する吉村。
お互いそれほど明確な有効打は無いが、序盤は畑山の積極性が目立つ。
中盤に入り、畑山の手数が減り、吉村がペースを握る。
終盤は、畑山が再び攻勢、吉村も応戦し打ち合いに。

公式の採点は1-1(116-111,112-115,114-114)。

畑山は、吉村の左ジャブや接近した時のクリンチに苦しみましたが、終盤の追い上げで何とか引分に持ち込みました。
吉村は、ホールディングの反則での減点がなければ勝っていた非常に惜しい内容でした。
終盤、畑山の猛攻に守りに入ってしまい、追いつかれてしまいました。

私の採点は、
無題



(→採点方法はこちら)

当時は、試合を見ていて、終わった瞬間、「畑山、負けたな…。」と思いました。
あらためて見てみると、畑山もかなり反撃していて、ほぼ互角の内容に思いました。
吉村のパンチがもっと当たっていたような記憶でしたが…。



後のインタビューで「坂本戦で燃え尽きていたのは否めない」と語った畑山。
確かに、拳の怪我の影響もあったとはいえ、やや精彩を欠いたぎりぎりの引き分け防衛でした。

ただ、吉村が、予想をはるかに超える善戦だったことに間違いはないでしょう。


【名勝負№41】ビック・ダルチニアン vs ノニト・ドネア ~IBF世界フライ級タイトルマッチ 2007.07.07

2007.07.07
IBF世界フライ級タイトルマッチ
王者 ビック・ダルチニアン
vs
挑戦者 ノニト・ドネア



ビック・ダルチニアン(31:オーストラリア)

これまでの戦績:28戦全勝(22KO)

アルメニア出身。
2000年シドニー五輪出場など、アマチュアで158勝18敗の実績を残し、オーストラリアでデビュー。

6度防衛中のIBFフライ級王者イレーネ・パチェコ(コロンビア)に挑戦、11RTKO勝利で王座獲得。
この試合が7度目の防衛戦。

6度防衛までの世界戦7試合は6KO。
残る1試合は、ノニト・ドネアの兄グレン・ドネア(フィリピン)を圧倒しながら負傷判定3-0(60-53 ×3)だったもの。

変則的な構えからの大振りの強打や突進力を武器にKOを量産する「レイジング・ブル(怒れる雄牛)」。


ノニト・ドネア(24:フィリピン)

これまでの戦績:17勝(10KO)1敗

デビュー2戦目で、2階級上のロセンド・サンチェスと対戦し5回判定負けを喫するが、その後はWBOアジア太平洋フライ級王座、NABF北米スーパーフライ級王座獲得(1度防衛)を含め、16連勝。

この試合が世界初挑戦。



圧倒的な勝利で防衛を重ねるダルチニアンに、世界初挑戦のドネア。
戦前予想が圧倒的にダルチニアン有利だったのは当然でしょう。

試合はこちら↓
 

開始から、積極的に攻めるドネア。
ドネアのパンチのスピードが半端ない。

ダルチニアンが接近すると、ドネアはバックステップや左右のフットワークでかわしながらカウンターで対抗。

ダルチニアンは、ドネアのカウンターやジャブ、ボディーブローへの防御に忙しく、変則的な構えから前進してどんどんパンチを出しまくって相手を倒すいつものスタイルで戦えない。

3Rあたりから、ダルチニアンは、ドネアのジャブやカウンターを警戒し前進できず、パンチの当たる距離にほとんど入っていけない。

ダルチニアンのビッグパンチが当たれば、試合が一瞬でひっくり返る緊張感がありつつも、展開はドネアペースに。

5R、ダルチニアンが前に出てきたところに、ドネアの左フックが炸裂、ダルチニアンがダウン。
立ち上がろうとするも、足元が定まらず試合終了。

この頃からそう呼ばれていたかどうかわかりませんが、豊かなスピードと強烈な左フックは、まさに「The Filipino Flash(フィリピンの閃光)」。

4Rまでの採点は、公式の採点は40-36,38-38,38-38で、ちょっと意外でした。

ドネアが的確にジャブやカウンターを当てていたのに対し、ダルチニアンのパンチはほとんどヒットしてないような気がしましたので、ドネアのフルマークかと思いましたが…。

この試合は、2007年のUpset of the year、Knock Out of the yearに選ばれました。



この勝利で、ドネアは、5階級制覇の第一歩を踏み出しました。

ダルチニアンは、この後スーパーフライ級に転向し、WBA・WBC・IBF3団体の統一王者となり、再び輝くことになります。


WBSS決勝で井上尚弥と対戦するドネアは、「衰えた」「昔の輝きは無い」と言われています。
確かにスピードはやや落ちたと思いますが、抜群のタイミングで放たれるカウンターの左フックは、やはり脅威ではないかとこの試合を見てあらためて思いました。

【名勝負№40】田口良一 vs 井上尚弥 ~日本ライトフライ級タイトルマッチ 2013.08.25

2013.08.25
日本ライトフライ級タイトルマッチ
王者 田口 良一
vs
挑戦者 井上 尚弥



田口 良一(26)
これまでの戦績:18勝(8KO)1敗1引分
2012.03.12 日本ライトフライ級王者黒田雅之に挑戦、1-1(95-96,96-95,95-95) で引分、王座獲得ならず。
2012.05 プロデビュー前の井上尚弥とスパーリングを行い、圧倒される。
2013.04.03 黒田が王座返上したため、知念勇樹と日本ライトフライ級王座決定戦。3-0(99-92,98-92,97-93)で勝利、王座獲得。

田口は、井上とのスパーリングは、黒田戦を終えあまり体を動かしていない時期だったとはいえ、「あんなに衝撃があるパンチはもらったことがなかったので驚いた。」が、「井上から逃げたと思われるのは絶対に嫌」と、また、「しっかり鍛えて状態を上げれば勝機はある」と、井上との対戦を熱望。
この試合が初防衛戦。


井上 尚弥(20)
これまでの戦績:3戦全勝(3KO)
日本ボクシング史上初の高校7冠を達成。
ロンドン五輪を目指したが、予選の決勝で敗れ出場を逃がしプロ転向。
アマチュア戦績は75勝(48KO/RSC)6敗。
「弱いボクサーとは戦わない」ことを条件に、大橋ジムと契約しプロデビュー。
この試合で、辰吉丈一郎以来23年ぶりの4戦目での日本王座獲得を目指す。



田口が、「自分と試合をしたときとは比べものにならないくらい強くなっている。」と言っているとおり、階級を上げるに従い減量苦から解放され、今では桁外れのパンチ力で豪快なKOを連発し、世界的にも評価が上がっている今の井上が、試合当時よりも数段強くなっていることは明らかでしょう。

しかし、当時の井上も相当に強かったはずです。
アマチュアで輝かしい実績を残し、鳴り物入りでプロに転向し3連続KO勝利を飾っていた井上は、今のような超の付く圧倒的なパワーではなくとも、相当な破壊力だったことは間違いありません。

戦前予想は、井上断然有利。

試合の模様はこちら。↓


1~2Rは、様子を見つつも井上が強打を振るうが、田口の動きも非常に良い。
3R、井上がボディを交え始め、優勢に試合を進め始める。
その後も、田口は、井上の強烈なパンチにひるむことなく前進するが、カウンターで返す井上。
中盤以降、井上は田口の前進にも後退せず、上下に強打を当てる。
田口がこつこつ攻めても、一発で印象をひっくり返してしまう井上の強打は、まさに「monster」、 その強打を再三浴びても倒れない田口も素晴らしかった。

井上がパンチのパワー、スピード、正確さで上回り、ほぼフルマークの内容だったが、田口が井上の強打に相当ダメージを受けながらも素晴らしい気迫を見せ、最後まで激しい打ち合いとなった。

公式の採点は、3-0(98-92,98-93,97-94)
私の採点は、
無題



私の採点方法はこちら



この試合は、井上にとって最も苦戦した試合かもしれません。

井上がこれまでの18戦の中でKO勝利できなかったのは、ダビド・カルモナ(メキシコ)と田口ですが、カルモナ戦の最終ラウンドはレフェリーがなぜ止めないのかという内容でしたから、試合終了のゴングが鳴ってしっかり立っていたのは、実質、田口一人と言えるでしょう。

井上が、クリーンヒットではなくても、これほどパンチを当てられた試合は無いと思いますし、圧倒的不利の予想のなか、田口の健闘が光りました。

勝者の井上だけでなく、敗者の田口にも惜しみない拍手が送られた、素晴らしい試合でした。

井上は、辰吉丈一郎以来、4戦目での日本王座獲得となりましたが、この時点では、オマール・ナルバエス(アルゼンチン)やファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)、エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)を瞬殺しパウンド・フォー・パウンドのランキング上位に入るほどのSuper Monsterに成長するとは、さすがに想像できませんでした。

田口は、日本王座の初防衛に失敗しましたが、井上から逃げず勇敢に戦った心意気は素晴らしく、敗れても評価は高まりました。

田口自身も、井上と戦いを糧に、その後の試合を「相手は井上君より強いはずはないから大丈夫」と自信を持って戦い、WBA・IBF2団体統一王者に成長して行くことになります。

【名勝負№39】サムエル・セラノ vs 上原康恒 ~WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 1980.08.02

1980.08.02
WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
王者 サムエル・セラノ
vs
挑戦者 上原 康恒


1980年のThe Ring MagazineのUpset of the Yearとなった試合です。

サムエル・セラノ(27:プエルトリコ)
これまでの戦績:42勝(14KO)4敗1引分
 1976.04.13 4度防衛中のWBAスーパーフェザー級王者ベン・ビラフロア(フィリピン)に挑戦、1-1(70-70,69-73,72-67)で引き分け、王座獲得ならず。
1976.10.16 ビラフロアに再挑戦、3-0(147-141,149-147,146-142)で勝利、王座獲得。 
この試合が11度目の防衛戦。

上原 康恒(30)
これまでの戦績:25勝(20KO)4敗
  インターハイや全日本選手権で優勝、117勝(87RSC)8敗の輝かしい戦績を残し、当時日本プロボクシング史上最高となる契約金1,000万円でプロデビュー。
1973.11.29 WBA世界スーパーフェザー級王座を5度防衛中のリカルド・アルレドンド(メキシコ)とノンタイトル戦。3-0(50-43,50-44,50-44)で勝利。
1974.08.24 WBA世界スーパーフェザー級王者ベン・ビラフロア(フィリピン)に挑戦、2RKO負け。
1975.07.21 日本スーパーフェザー級王座獲得。2度防衛後に陥落。
1976.07.29 再び日本スーパーフェザー級王座獲得。7度防衛したのち返上。
 この試合が2度目の世界挑戦。



試合が決まったのが、試合の3週間前。
米国デトロイトでの挑戦。
世界屈指のテクニシャンで10度防衛中のセラノが相手で、戦前予想はセラノが圧倒的有利。
この試合への注目度が低かったのも無理はありませんでした。

動画はこちら↓
上原は、トレードマークのヒョウ柄のトランクスですね。



セラノは、長身を活かし、遠くからジャブを的確に当てる。
上原のパンチは届かず空転。
接近するとクリンチでかわされ、完全に強打を封じられる上原。
セラノが、「上原が打ってきたら動いてかわせるし、ジャブ出せば当たるし、近づいたらクリンチしてればいいから、楽勝じゃね?」と思ったかどうかはわからないが、余裕のボクシングを展開。
セラノ優勢のまま試合が進む。
6R、敗色濃厚の上原が開き直って強引に攻撃、右の強打がクリーンヒットしセラノがダウン。
上原の逆転KO勝利。




まさかの一撃で、上原が王座を奪取しました。
5Rまでの公式の採点は、3者とも45-40でセラノ。

敵地での劇的勝利は素晴らしい快挙ではありましたが、当時は具志堅用高が防衛回数を12回に伸ばし大人気だったころで、残念ながら、勝利後も上原の注目度はそれほど高くなかった記憶があります。

上原は、この王座を1度防衛しますが、1981.04.09にセラノと再戦、0-3(143-147,142-144,142-145)で敗れて王座から陥落しました。

具志堅も3月にペドロ・フローレス(メキシコ)に敗れており、残念ながら、沖縄の王者2人が続けてタイトルを失い、引退となりました。

【名勝負№38】小林弘 vs アルフレド・マルカノ ~WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ 1971.07.29 

1971.07.29
WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
王者 小林 弘
vs 
挑戦者 アルフレド・マルカノ(ベネズエラ)


「名勝負№37」で、The Ring MagazineのUpset of the Yearに選ばれたジェームス・カークランドvs石田順裕を取り上げましたが、この試合もUpset of the Yearに選ばれた試合です。


小林 弘(26)

これまでの戦績:61勝(10KO)8敗4引分

1963.08.19 デビュー後19連勝で日本フェザー級王座に挑むも失敗。

1964.04.26 ノンタイトル戦で東洋フェザー級チャンピオン関光徳に判定勝ち、世界ランキング入り。

1964.09.28 日本王座獲得。その後7度防衛。

1967.12.14 WBA/WBC世界スーパーフェザー級王者「精密機械」沼田義明に挑戦、12RKO勝利で王座獲得。
 過去記事:【名勝負16】 沼田義明 vs 小林弘 ~ 1967.12.14 WBA・WBC世界ジュニアライト級タイトルマッチ

2度防衛後、WBCとWBAとの分裂によりWBC王座ははく奪されたが、WBA王座を6度防衛。

※ 5度目の防衛戦後、1970.12.03に、当時WBA世界フェザー級王者の西城正三とノンタイトルで対戦、2-1(48-46,48-49,49-46)で勝利している。

この試合が7度目の防衛戦。


アルフレド・マルカノ(24:ベネズエラ)

この試合までの戦績: 動画では32勝(22KO)6敗5引分(BoxRecでは33勝(21KO)8敗4引分)

この試合が、世界初挑戦。



小林は、クロスカウンターを得意とし卓越したディフェンスが持ち味の頭脳的なボクシングスタイルで、その玄人好みの技巧派ぶりと粘り強さから「雑草の男」と言われました。

ボクシング人気が最高潮だった昭和40年代に、当時の日本人最多防衛記録を打ち立て、漫画『あしたのジョー』のモデルとなったボクサーです。

マルカノは、小林に挑戦する前の9試合で4勝5敗と負けが込んでおり(ただし敗戦には、のちのWBC世界スーパーフェザー級王者リカルド・アルレドンド、のちのWBA世界フェザー級王者エルネスト・マルセル(2敗)が含まれている。)、戦前予想は小林が有利でした。

試合の模様はこちら↓
解説者は、1960年ローマオリンピックのフライ級銅メダリストで、プロでは王者になれる逸材と言われながら、世界挑戦を前に網膜剥離で無敗のまま引退した田辺清と、当時WBA世界フライ級王者で、1973年1月に交通事故で現役王者のままこの世を去った大場政夫です。



1R、重く伸びのあるマルカノのパンチが小林の顔面に何度もヒット。

2R以降、小林は、マルカノの強打に苦しみながらもカウンターで反撃。

6R、再びマルカノが攻勢、8Rには小林がボディからの連打で攻勢、一進一退の攻防が続く。

9R、小林が連打、マルカノはロープに釘づけとなりダウンを取られる。再開後、猛攻を仕掛ける小林に、マルカノの起死回生の右アッパーがヒット、小林ダウン。(解説はボディに入ったと言っているが、おそらく顎にクリーンヒットしたと思われる。)

10R、マルカノがダメージの残る小林に猛攻、2度のダウンを奪う。小林はなんとか立ち上がるが、再開後、足がもつれて倒れたところでセコンドからタオル投入。

マルカノの大逆転勝利。

かなり激しい打ち合いでめまぐるしく展開が変わるスリリングな試合でした。

9Rまでの採点は、3-0(43-42,43-41,43-40)で小林。
私の採点は、(採点法はこちら
無題



ちなみに、The Ring MagazineのUpset of the Yearに選ばれた試合を戦った日本人は、ファイティング原田、小林弘、上原康恒、石田順裕、比嘉大吾。

ファイティング原田は3試合、
1962.10.10 19歳で世界初挑戦、世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)に11RKOで勝利し王座を獲得した試合、
1965.05.18 世界バンタム級王者「黄金のバンタム」エデル・ジョフレ(ブラジル)に15回判定勝利し王座を奪取した試合、
1968.02.27 5度目の防衛戦で、19歳の無名挑戦者ライオネル・ローズ(オーストラリア)に15回判定負けし王座陥落した試合
が選ばれています。

1971年は、小林弘vsアルフレド・マルカノ(ベネズエラ)。

1980年は、上原康恒が10度防衛中のWBA世界スーパーフェザー級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)に6RKO勝利した試合。

2018年は、比嘉大吾vsクリストファー・ロサレス(ニカラグア)が選ばれていますが、もし比嘉が万全であったなら妥当だとは思いますが、比嘉が体重オーバーでWBC世界フライ級王座を剥奪され、減量失敗の影響で試合内容は精彩を欠いていましたので、少し微妙ですね…。
管理人:ボクオタおやじ
輪島功一、大場政夫、具志堅用高…。少年時代に往年の名ボクサーをテレビで見て、胸が高鳴りました。以来40年以上ボクシングオタクです。
過去の名勝負なども取り上げていこうと思います。
おことわり
選手名等は敬称略とさせていただいております。
私の採点方法
ちょっと変わった独自の採点方法で勝手に楽しんでます。
⇒詳しくはこちら
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