1967.02.20
バンタム級10R

WBA世界フライ級王者 オラシオ・アカバリョ
(32:アルゼンチン)
73勝〈34KO〉1敗6引分
vs.
田辺 清
(26)
20勝〈4KO〉1引分

田辺は、1960年ローマ五輪で、ボクシングでの日本人として初のメダルとなる銅メダルを獲得。
1965年10月に日本王座を獲得、その後2度防衛し返上。

アカバリョは、1966年3月にWBA・WBC世界フライ級王者決定で高山勝義に勝利し王座を獲得、その後2度防衛中。
※12/10の2度目の防衛戦ではWBA王座のみのタイトルマッチ。WBCは、12/30にチャチャイ・チオノイ(タイ)を王者に認定。

1967年は、6月に沼田義明がWBA・WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得、白井義男、ファイティング原田、海老原博幸に次ぐ4人目の世界王者となり、7月にファイティング原田がWBA・WBC世界バンタム級王座の4度目の防衛に成功。
さらに、12月には、小林弘が沼田に挑戦し勝利、日本人5人目の世界王者となり、ボクシング人気がどんどん高まっていた頃です。



田辺は、開始からスピードと手数でアカバリョを圧倒、タフなアカバリョから3Rと4Rにダウンを奪い、6Rに、4R途中でカットしていたアカバリョの額の傷が悪化、田辺のTKO勝利。

5Rまでの公式採点は3-0(25-18,25-18,25-20)で田辺。
ちなみに、私の採点 (→採点方法はこちら)は、
1

2



この試合に勝った田辺は、アカバリョとのタイトルマッチを行う予定でしたが、網膜剥離が判明し、無敗のまま引退となりました。

もし、田辺が網膜剥離にならずアカバリョに挑戦していたら、5人目の世界王者は田辺だったかもしれません。








 
 
 

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