1991.02.03
WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ

王 者 ペドロ・デシマ
vs
挑戦者 畑中 清詞



ペドロ・デシマ(26:アルゼンチン)
これまでの戦績:26勝〈18KO〉2敗

1988.07.28 : ジェシー・べナビデス《後のWBO世界スーパーバンタム級王者》(米国:22戦全勝〈17KO〉)に3RTKO勝利。

1988.09.16 : 元WBA世界スーパーバンタム級王者《2度防衛》のルイ・エスピノサ(米国:30勝〈25KO〉3敗)と対戦し、8RTKO負け。

1990.11.05 : WBC世界スーパーバンタム級王者《1度防衛中》のポール・バンキ(米国:20勝〈11KO〉4敗)に挑戦、4RTKO勝利、王座獲得。

この試合が初防衛戦。


畑中 清詞(23)
これまでの戦績:21勝〈14KO〉1敗1引分

1988.09.04 : WBC世界スーパーフライ級王者ヒルベルト・ローマン《渡辺二郎から王座を奪取、5度防衛後陥落したが、再び王座を奪取し1度防衛中》(メキシコ)に挑戦。
15戦全勝の勢いも老獪なローマンには通じず、0-3(108-119,109-117,111-115)で敗れる。

再起後は1引分を挟み6連勝。



当時は、過酷な減量に堪えてこそボクサーみたいな感じで、 階級を上げる、特にいきなり2階級上げるのは、ほとんど例がなかったような気がします。

軽量級で階級を上げると層が厚くなるので王者も当然強く、2階級も上げたらパワーで全くかなわないのではないか、世界挑戦は無謀ではないかと思いました。

しかし、そんな周囲の不安をよそに、減量苦から解放された畑中は良いコンディションでリングに上がることができでいたのだと思います。

日曜日の夕方だったと記憶していますが、TVで生放送で見ました。

畑中は、ヒルベルト・ローマンには完敗したものの、期待の新鋭で、 この当時は、たしか世界王者はレパード玉熊1人で(違ってたらすみません)、畑中にかけられていた期待は非常に大きかったと思います。

タイトルなし












試合が始まってみると、その期待はあっさり打ち砕かれた。

デシマは、フットワークも軽く、パンチも速く多彩、ディフェンスも堅く、パワーも兼ね備えた王者だった。

畑中は、開始から劣勢を強いられ、1R終了間際にダウン。

2R、3Rもデシマの攻勢が続く展開に、おそらく多くのファンは「こりゃ、勝てん」と思っただろう。

しかし、4R、畑中の右がヒット、連打でたたみかけダウンを奪い、その後も3度のダウンを加え、完全に形勢逆転。 (崩すことが困難に思えた堅いディフェンスのデシマがリングに倒れるのを見て、驚きながらも、思わず「よしっ、今だっ!行けっ!!畑中」と叫んだことを思い出しました。)

5R、6Rはデシマが再び攻勢に転じ、嫌なムードが漂ったが、7Rに5度目のダウンを奪い、再び形勢逆転。

しかし、デシマはその後反撃、 激しい攻防が続く。

8R、激しい打ち合いから畑中が6度目のダウンを奪い、デシマ立ち上がるもレフェリーがついにストップ。

会場は興奮の坩堝。
畑中の勝利が決まった時は、正直放心状態でした。
それだけ、内容の濃い試合でした。



名古屋から初の世界王者となった畑中は、初防衛戦でダニエル・サラゴサ(メキシコ)と激闘を繰り広げ、微妙な判定で惜しくも敗れます。



そして、畑中はこの試合で右目を痛め、再起は叶わず引退となりました。

デシマ戦、サラゴサ戦、強烈なインパクトを残した畑中。

世界王座を防衛することはできませんでしたが、私の中では名王者の一人です。 







 
 
 

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