赤井英和。

この名を聞いて、俳優としての味のある演技や、バラエティ番組での活躍を思い浮かべる方が多いでしょう。

赤井がボクシングで世界挑戦したことがある、と聞いて驚く人も多くなっているのではないでしょうか。

確かにそうでしょう。
赤井が引退したのは1985年、もう35年前のことです。

ただ、ボクシングのオールドファンにとっては、やはり「浪速のロッキー」。



赤井は、高校時代からインターハイ優勝などの活躍を見せ、近畿大学に進学。

日本がモスクワ五輪をボイコットし出場の可能性が無くなったため、在学中の1980年にプロ入り。

4戦目で、後に日本ライト級、ウェルター級王者、OPBF東洋太平洋ウェルター級王者となる尾崎富士雄に3RKO勝利。

その後も連続KO勝利を続け、当時ヒットした米国映画にあやかり、「浪速のロッキー」と呼ばれ全国的な人気に。

1983.07.07 WBA世界スーパーライト級王者ブルース・カリー(米国)に挑戦。



開始からどんどん前進しパンチを振るう赤井。

赤井のパンチをしっかりディフェンスし、ガードの低い赤井に的確にパンチをヒットするカリー。

打たれながらも、激しく攻め立てる赤井。

時折、赤井のパンチがカリーの顔面を捕らえるが、カリーのパンチが的確にヒット、赤井は徐々に消耗。

カリーのペースで試合が進むが、6Rは激しい打ち合いとなり、カリーが赤井の勢いに押されロープに詰まる場面も。

7R、 前のラウンドで力を出し切ってしまった赤井に、カリーの連打がヒット、赤井がキャリア初のダウン、 その後も連打を浴び2度目のダウンでレフェリーストップ。



試合前から期待が大きく、6Rには一瞬ですが逆転の可能性も見えただけに、このKO負けはボクシングファンにとって落胆の大きいものでした。

その後再起し5連勝、再び世界が見えてきましたが、1985.02.05 大和田正春に7RKOで敗れました。

この試合で、急性硬膜下血腫・脳挫傷となり、一時危険な状態に。

奇跡的に、後遺症もなく回復しましたが、ボクシングを続けることは不可能となり引退。

その後は芸能界で活躍。


赤井の戦績は、19勝〈16KO〉2敗。
世界戦もカリー戦1試合だけ。

決して大記録ではありません。

しかし、赤井ファンの当時の熱狂を思い出すと、後に日本ボクシング界に一時代を築いた辰吉丈一郎同様、記録よりも記憶に残るボクサーであったと思います。



先日、たまたま「赤井英和の嫁 佳子」というTwitterを見つけました。

赤井と同姓同名の人なのかと思いきや、なんと正真正銘、赤井本人の奥様。

赤井のちょっととぼけたキャラクターと、少し冷めた視線でありながらもとても温かい奥様のつぶやきにじわじわハマってしまいます。

笑ってはいけない場所では、絶対読んではいけません。 

今後も、赤井英和&奥様の活躍に期待! 









 
 


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